月島 〜路地と長屋の残るまち〜 

月島

月島は明治時代に埋め立てられた島です。現在、月島はもんじゃ焼きのまちとして多くの人に知られています。駅前にある西仲通り商店街の通称はもんじゃストリート。現在ではその商店のほとんどがもんじゃ焼き屋になっています。もともと、月島には仕出し文化が根付いており、自宅で炊事を行うことは稀だったそうです。商店街に面した長屋の1階部分は飲食店になっていることが多く、外食をしたり出前を取ったりするのが主流だったようです。現在でも飲食店が多いのはその名残かもしれませんね。

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西仲通り商店街(もんじゃストリート)で注目してほしいのは看板建築です。商店街のアーケードにより、見づらくなっていますが、頭上に注目してみてください。レトロな看板建築がまだ残されています。また、この商店街には大正時代に建てられた交番も残っています。

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商店街には狭い路地が接続しています。路地は表出が多く、部外者は立ち入りにくい感覚をおぼえます。住人の方のご迷惑にならないよう、静かに入ってみましょう。 月島には古い長屋が残っています。碁盤の目状に伸びる細い路地に沿うように、間口1.5間ほどの細長い住戸が密集しています。元々は集合住宅として利用されていた長屋は4畳半が基本となっており、現在の住宅と比べると随分高密度の生活を送っていたことがわかります。現在では年配の方が少人数で暮らされている住宅が多いようです。

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路地には必ずと言っていいほど植木鉢が置かれています。狭い路地は緑で溢れています。植木に水をやる住人、植木とじゃれる猫の姿もあります。とても穏やかで、空気がしっとりしています。月島には広い公園や緑地はありませんが植木鉢により、緑豊かなまちが形成されていると思います。

こんな狭い路地に向けて窓があり、プラバシーが保たれるのか疑問に思う方がいるかもしれません。路地を歩いていれば、長屋の中が見えてしまいますし、話し声も聞こえてきてしまいます。ここにはプラバシーという概念がないように思います。その代わり、ここでは高齢者の孤独死がないそうです。何かあればすぐに近隣の人が気付いて、駆けつけてくれるという状況です。プライバシーの代わりに強いコミュニティが息衝いているように思います。

月島のお隣、佃島は佃煮発祥の地としても有名ですが、こちらは埋立地ではありません。ですから月島よりも更に古い長屋があるのです。江戸時代からある住吉神社。川から参拝することを配慮して川沿いに鳥居が設けられています。その鳥居の向こうには超高層マンションが見えます。過去から未来を覗いているような心持がします。

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佃島には佃天台地蔵尊というのがあります。「立ち入ってもいいの?」と思うほど狭い路地の奥にひっそりと佇んでいます。ここには樹齢100年はとっくに超えている銀杏の大木があります。木を除けるような形で長屋が建てられています。まるで銀杏の大木に支えられているかのようです。

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佃島の路地も月島同様、植木鉢がたくさん置かれています。よく手入れの行き届いた植木鉢は泥棒除けにもなります。住人の意識の強いところを泥棒は好まないのです。

東京の真ん中という好立地からこれからも再開発が進みそうな月島、佃島。古い町並みはそのうち消失してしまうかもしれません。 みなさんも古い下町の風情を感じに、一度訪れてみてはいかがでしょうか。(文責:平松彩奈)

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