「 都市のゆくえ、すまいの未来 」

平成19年12月21日 大野 秀敏先生  □ はじめに

 今回は、将来の都市計画や都市デザインについてお話しする。日本では、建築の人は建築のことだけを考え、都市デザインの人は都市のことだけを考える傾向にあることに疑問を感じ、私はその両方を総合的にとらえて仕事をしたいと考えている。
 右図は、以前故郷の岐阜県の岐阜市を中心とした都市域に対して将来像を描く時に、このようなダイアグラムを考えた。この地域を横断する鉄道網と国道を絡め、一種のコンパクトシティのアイディアを提案した。
その時に人口問題を勉強し、これは相当深刻な問題だと感じ、結論として21世紀は縮小をデザインすることが必要であるという考えに到達した。
(スライド1)
□ 縮小は避けられない(人口の動向について)
◎ 縮小は避けられない
2050年には人口が約9000万人に減少してしまう。現在の人口が1億2777万人なので、約4000万人いなくなる計算になる。一つの県の人口は平均すると200万人前後なので、相当な人数であることが想像できる。その時点の50歳の人はもう生まれているので、この予想は大きく外れることはないと考えられる。そうしてみると縮小は避けることはできない、ということになる。
(スライド2)
◎ 縮小をデザインする
人口が3/4ぐらいになってしまうので当然経済活動の量も減る。さらに人口の構成としては老人が増えていく。今現在老人が約20%を占めているが、2050年には40%になってしまう。毎年人口が減るとGDPも確実に減って行く。よほど生産性が向上しなければ維持していくのはとても難しい。さらに、高齢者が増えていくので人口減以上にGDPは減る。
このように縮小が進むと社会が萎縮してしまうだろう。しかし、無策のまま縮小を放置することは萎縮を助長するだけであるので、縮小を好機に変える戦略をもつことが必要であると考えた。

◎ 人口の縮小
 これは少し前の出生率が1.33だった頃のグラフである。これで見ると、2100年頃には人口が4000万人ぐらいになっている。更に西暦3000年頃になると日本人はいなくなってしまう。
(スライド3)
◎ 人口縮小は国際問題]
 人口問題は国際問題でもある。現在世界の国の1/3が人口維持レベルを下回っていると言われている。人口維持レベルというのは、合計特殊出生率と言って、女性が生涯に生む平均的な子どもの数が2.0以上ということであるが、日本は現在1.25ぐらいである。
 多くの先進諸国の出生率は低いが、地球全体の人口は増えている。現在地球の人口は60億で、少なくとも80億ぐらいまでは増えるだろうと予測されている。ただ、従来はこのまま増大していくと言われていたが、文明化が進み教育程度や生活が良くなると必ず出生率は落ちてしまう。人口縮小問題は普遍的な問題で、これから世界的レベルで解決をしていかなければならない問題となる。
(スライド4)
◎ 縮小は怖いか
 人類は生まれてこのかた、ほとんど縮小したことがない。人間が移動する速度、摂取できるカロリーそして寿命などあらゆるものが増大してきた。その中で経済の成長が幸せを生み出すと信じられてきた。しかし、現在あらゆるものが頭打ちになってきている。成長や拡大が止まると幸せが遠退くかのように信じてきたので、縮小が怖いと感じてしまう。そのために少ない成長の機会を血眼になって探している。今までは、明日は今日よりましになると信じて生きてきた人が、明日は今日より悪くなるかもしれないと慌てふためいているのである。
 しかし、ただ増えればいいというものではないことにも気づき始めている。いい例が肥満である。食べ過ぎたものをどうやって減らすかということに努力している人が大勢いる。
そこで、縮小期にしかできないことができれば、縮小は都市環境にとってむしろ好機ではないかと私は考えている。

□ 現在の日本を取り巻く住まいの状況
◎ 日本の現状と近未来の課題
○ 現在の日本の状況
現在、内需拡大が叫ばれている中で、売り上げを伸ばそう、着工件数を増やそうということばかり考えていると先がない。成長の余地は確実に減ってきている。あらゆるものが人々に行き渡り、会社は生産の合理化を極限まで図り、人員をギリギリまで減らしてダイエットのしすぎのような状況である。一方では日本のサービス面は気持ちが悪いくらい微に入り細に渡っているにも関わらず、モラルハザードが起こっている。2007年は1年をあらわす漢字に"偽"が選ばれたように、みんなが嘘をついているというような状況になっている。
都市においても建てづまり状態である。例えば、戦前の郊外住宅地は200坪くらいで分譲されていたそうであるが、それが今では30坪になっている。日本は、GDPが世界2位である。国力や経済力はあるが、生活や環境の方はどうもそうではない。そういうときに何をするかというと、やはり縮小に備えた投資をするのがいいのではないかと考える。縮小することを認めれば、今はまだ国力があるので有効な投資ができると思う。

○ 「200年住宅」とストック
 ところが、今の首相が長持ちする建築がいいということで、"200年住宅"と言っている。日本で200年経過した建物は、重要文化財か国宝になってしまうにも関わらず、これから作るものを、"200年住宅"にしようと言っている。その際に、今ある建物をどうするのかが見えてこない。政治の指導者も建築の技術者も、物理的にもたせようとすぐに考える。SI(スケルトン・インフィル)なんかもその例で、大体の建物は改修することで使用に耐えうるものを、SIという名目で新規投資を増やそうとする。その結果、さまざまな仕組みが消費的になってしまい、日本の建物が30年程度しか使われなくなっている。これから人口が4000万人も減ることが予測され、住宅でも何でも絶対に過剰になり、どう考えても経済力は飛躍的に伸びるとは思えない中で、買い替えが進むとは考えにくい。
もし本当に長持ちするストック型の社会をつくるのであれば、今ある建築物をいかに活かすかということを考えるべきである。

○ 都市のアップグレード化
 都市は、この縮小期にアップグレードを図っていくべきである。住宅地は狭くなる一方で、一向に災害の危険性が減っていない。一戸一戸の建物に関しては、耐震性は向上しているが、街全体としては一向に良くなっていない。
また、日本は比較的長い歴史を持っているにも関わらず、歴史的遺構は次々と消滅している。都市の大きな資源は歴史である。ただ、ここで歴史と言っているのは、毎日つくり続けるものということでもある。つまり、大昔の物だけを残していくということだけではなくて、今のものを長く使うということが、歴史をつくるということになる。
 ファイバーシティの中で、"父親殺しの都市計画"という物騒な言葉を使っている。現在日本橋付近の首都高は景観破壊要素であるので、撤去して地下トンネル化しようとする計画がある。しかし今の日本橋自体が建設された頃は、周りは町家ばかりで、そこに洋式の橋を架けることは、景観破壊要素だったはずだ。その時点の評価はわからないが、一世代経ておじいさん世代がつくった橋は評価が高く、お父さん世代がつくった橋(首都高)は酷評される。しかし、首都高ももう一世代経ればおじいさんの作品になる。当時はその時代の土木技術を代表するすばらしいプロジェクトであった。時代の進歩というのは前の時代を否定するもので、エッフェル塔でさえ完成当時は酷評されたが、壊さずに残したことで今や名物になっている。親父のものを大事にして一世代経てば、次の世代ではおじいさんのものになり、その繰り返しで歴史は蓄積していく。
 それから、もう一つ、現代の日本の都市で考えなければいけないことは、小売店舗が非常に多いということである。街づくりと言うとすぐに「賑わい」といい、賑わいというと、ほとんど商業的賑わいをあらわしているが、日本中が賑わうことはありえない。 今や、日本の製造業は消費を呼び起こして、つまり欲望をつくって消費させるというサイクルのうえで成り立っている。だが、それにも限界があり、宅地はどんどん狭くなっているのに、ものばかり溢れている状況にある。今や都市全体が消費の刺激装置になろうとしている。全ての都市の表層が、人々の欲望を刺激するようにできていると言える。そしてそれが都市の繁栄であると思い込んでいる。東京にブランドショップが増えると東京は少し格が上がったように感じ、世界のブランドが東京に集まることに誇りを覚えるようになってきているが、決してそうではない。
(スライド5)
○ 縮小の地方への影響
 縮小は地方中小都市こそが一番影響を受ける。中心商店街の活性化などさまざまな政策が行われているが、ある段階で消えゆく街を看取る政策も必要ではないかと思う。今後公共投資は難しいので、基本的には、もっと機会を多くして活力を高め、身の丈にあった都市政策といった基礎体力をつける政策が必要であり、そういうアイディアを出していかなければならない。
ところが、今政策的なアイディアはコンパクトシティしかない。コンパクトシティとは、街は小さい方がいいという考え方である。小さいと移動に車を使わないので、高齢化社会に相応しいといわれているが、現状では地方都市は拡散してしまっている。それを集約しようというのが今の政策の大きな流れである。 しかし既に公共交通などの生活インフラの運営ができなくなった地方都市は数多く、さらに昔ながらの個人商店などは大型量販店の進出で姿を消している。仮にその大型量販店が撤退した場合には残された人々は買い物ができなくなってしまう。また今までそれなりの人口規模と資本がある中で医療や福祉が運営されてきたものが、急速に支えられなくなる地域が増えてきている。
こうなると、余裕がある人から地方を見限って都心へ流出してしまうということが考えられる。

○ 郊外の空き地対策
少子化により一人っ子が多く、この一人っ子がこれから多くの土地を相続する。親が相続した土地は地方都市に多くあり、それを大都市に住む一人っ子が相続することになる。一人っ子同士で結婚してしまうと、双方の親の土地が地方都市に点在するというような状況が生まれ、不在地主が増える。地方都市にある土地は処分するにもお金がかかり、なかなか買い手もいないので放置されてしまう。このような立ち枯れのような住宅がこれからどんどん増える。
そこで郊外については、梃入れして、高齢者などが住み易い形に変えて行くことを考えていかなければならない。その時、問題となってくるのが空き地の発生である。人口は4000万人も減少し、一方では200年住宅と言っているのだから、建物や土地は相当量余ることになる。これをどう活用するかが今後大きな課題になるだろう。

○ 超高齢社会における住まいの環境づくり
 郊外が影響を受ける理由の一つに高齢社会が挙げられる。40%の人が高齢者になると、安穏とご隠居をやってられなくなる。つまり、今が20%で年金がパンクしそうだと言っているのに、それが40%ともなると支えてくれる人口のほうが減ってしまっているので、今までの給付を続けていると年金は破綻してしまう。元気な老人も女性も皆稼がなければならないのが超高齢社会の実態である。いつまで年金がもらえるかわからないので、将来は働けるうちは自分で稼ぐということになる。
(スライド6)
ただし働くと言っても若いときのようには働けないので、労働形態が多様化してくる。そうすると、少ない労働時間に長時間の通勤ではコスト的にも時間的にも不合理になってしまう。今までは、老後に引っ越しをする場合は戸建ての選択が多かったのが、近年では都心のマンションという選択肢も増えてきている。それがもう少し一般化すると、働きやすい住まいの環境づくりを考えていかねばならない。それは、交通利便性や家事をサポートしてくれるサービスによる環境づくりかもしれない。今後は社会的に高齢者をどう生産に結びつけていくかということを考えなければならない。
 また高齢社会というのは単身者が増えるという寂しい社会でもある。見守りのニーズはこれからもっと増えてくるだろうと考えられる。
ご近所ということも必要になってくるだろうが、現在ではご近所による見守りの社会システムが崩れてきている。地方の地域社会ならまだ維持されているかもしれないが、脆弱になってしまっている。今後このような見守りのシステムをどう再構築していくかが日本社会の課題であり、住宅産業のサービスの一つであるかもしれない。

□ ファイバーシティ 「Fiber City」 について
◎ 東京の都市計画
 このように縮小していく世界の中で、東京の都市計画を振り返ってみると、まともな将来プランはほとんど存在しない。膨張に身を任せすぎていたし、都市計画の専門家があまりに「私」の視点を重視し、全体像を語ることをしてこなかったということに原因がある。だがこれからは皆、縮小で悩むのである。縮小を上手に使って縮小を好機として国を豊かにすることを成し遂げればきっと21世紀のチャンピオンになるだろうと思う。逆に少なくなった成長の可能性を漁っていると時代遅れになる。
 そこでファイバーシティの考え方であるが、これは東京の人口は当面減少しないとする従来の考え方ではなく、いずれ持ちこたえられなくなるのだから、東京は縮小を早く上手にこなすべきである。成功すれば21世紀の文明のリーダーになれるのではないかと考える。
(スライド7)
◎ ファイバーシティの4つの戦略
○ 郊外の再編成
「Fiber City」は4つの戦略から構築されている。一つ目の戦略は郊外の再編成である。人口が減少し、郊外から公共交通が消滅すれば、移動手段を持たない交通弱者が増加する。また日本の郊外は理想から程遠い宅地規模である。将来は人口が減少するので一人あたりの宅地は増加するとも言われるが、現実的には、隣の宅地が売りに出ない限り宅地面積は広くならないし、その時点で経済的に買えるかどうかも難しい問題がある。都市は小さい方が良いということは産業革命以降多くの人が主張し、実際欧米などでも数多く実験的計画が行われてきたが、殆ど失敗している。日本でも多摩ニュータウンが事例として挙げられるが、小さすぎて多様性がないため成功していない。
日本の大都市圏で一番誇れるものは公共交通である。少子高齢化社会というのは、高齢者も元気に働かなければいけない時代なので、それに対応したモビリティが必要になってくる。その対策として、駅周辺にだけ街を集めようというのがこの計画である。
(スライド8)
・ 730のコンパクトシティと800m歩行圏
 この戦略のお手本は井の頭線である。井の頭線の駅間隔は大体800mである。隣の駅が見えるほどに近い。それに駅前広場も小さい。バスやタクシーが入ってこれないようなところである。その代わり8割9割の人が歩いてやってくる。その効果として駅前商店街がうまく機能している。
(スライド9)
 右図に示すピンクの駅は増やした駅である。これは全ての駅の間隔を1km程度にする為である。
 この図は街の空間イメージであるが、このように800mの歩行圏の中に人が住む。そして、その外は緑地帯にしてしまう。ただ、これが公共緑地だと、とても成り立たないので、生産緑地であったり、工場の中の修景緑地であったり、学校のグラウンドや市民農園などの形で運営をしていくことを考えている。また、縁の部分に学校を移すことで、元の学校用地は都市改造の重要な種地になる。
(スライド10)
・ 駅前商店街
 この図は首都圏の商店街をプロットしたものなのだが、これを見ると郊外の商店街は基本的に鉄道にリンクして存在していることがわかる。このような関係は世界的に見ると非常にユニークである。海外では、駅と街はあまり関係していないが、日本の郊外では鉄道が非常に重要な役割を持っている。そのため、このように駅を中心に街が栄え、土地利用が活発に行われている。これは、先ほど説明した空間イメージのような基本構造を持っているので、後は加速させればいいだけである。それは例えば、税制を組み合わせるとか、色々な補助金を出すなどの方法がある。
(スライド11)
また、宅地は広くできないという前提で考えているのだが、歩行圏内に住んでいる人はインフラの負担が少ないので税金を減らすとか、逆に緑地帯の中に住んでいる人には、高くするということも考えられる。お金持ち住宅を増やしてもいいということになれば、たくさん税金を払えばこの緑地の中に豪邸を建ててもいいというような政策も考えられるし、平等社会を目指すのならば厳しく規制することもできるだろう。
(スライド1)


○ 木造密集地域の防災性と環境改善
・ 緑の間仕切り
 2つ目の戦略は木造密集地域の防災性と環境改善ということである。この対象地域としては、環6(山手通り)から環7あたりを考えている。この地域は、戦前に郊外化した為にインフラ整備がなされておらず、狭小な道路が網の目のようになっており、木造住宅やアパートが密集している。その為、一度震災が起こると相当な被害が発生するであろうと、昔から言われているものの一向に改まらない地域である。その原因は改善方法が2つしかないからである。
一つは都市計画道路を作り、空地を増やす事業であるが、東京都内に都市計画道路を作ろうとすると100m作るのに10年ぐらいかかってしまう。これでは時間と労力を消費しすぎて割に合わない。
(スライド13)
(スライド14)
 もう一つの方法としては、小さい宅地は共同化して不燃住宅に建て替えるというものがある。これは再開発事業もそうだが、究極的には既成市街地を団地のような空間に作り変えるということになる。ところが、土地所有には関係なく線が引かれるので、共同化に賛成しない人も出てくる。また、共同化に賛成した人は環境が良くなってからのリターンがないという変なシステムになっている。
そこで私達が考えたことは、このミミズのような緑の線を作るということである。都内には空き地がたくさんある。これを、借りるなり買うなりして任意に繋ぎ、これを緑地の壁として繋いでいく。図では、地域の8%を緑地化した場合である。
この地域を、パソコン上で延焼のシミュレーションをしてみると防災効果があることが分かった。住宅の不燃化は癌の手術でいうと、癌を切除しようということであるが、私達が考えたものは切除でなく、癌の拡張を押さえようという考えである。
(スライド15)


 風景はこの右図のようになる。8%の緑地でこのように変わる。
この8%の緑地帯は地価が8%上がれば経済的に成り立つ。元々都心に近くて立地は良い地域である。ただ、密集していることがマイナスなのでそれを緑地帯で改善すれば地価は上がるはずだ。
(スライド16)


・ グリーンパーティションを実現する仕組み
これを推進するために、まちづくり会社のようなものを作って機動的に進めていく。イメージとしては、地区の地権者が全員出資するような会社を作る。宅地の環境が改善され、良くなると自分が引っ越したあとも、その分配当として戻ってくる仕組みである。転出した人が損をするということがなくなる。
(スライド17)


○ 都市の防災性と環境改善
 3つ目の戦略は都心に地震が起こったときにどうやって助けがくるのかということである。幹線道路には、実際ことが起きると、みな車を乗り捨てて逃げてしまうであろう。そうなると、しばらくはヘリコプターによる空からの救援しか期待できない。そこで、首都高の都心中央環状線の内側を災害救援道路に用途変更するという提案である。
(スライド18)


 山手通りの地下のトンネルが完成すると、首都高の環状道路となり、都心部の通過交通が減少する。また、陸上自衛隊は幹線道路沿いにあるので、都心に救援活動をするために、首都高を災害救援道路と位置付けると円滑な移動が可能になる。首都高は阪神大震災の後に補強をしているので、あの程度の地震では壊れないはずである。
] (スライド19)


 普段はこの図のように歩行者や自転車専用道路として活用する。車で首都高を走っていると、都心の景色はとても良い。そこに緑を植えて歩行者や自転車専用道路にすると世界のどこにもない風景になるのでこれ自体が都市観光の目玉になると考えられる。
(スライド20)


 また、地域冷暖房の管路の役割も担うことが出来る。地域冷暖房は管を埋設するのにはお金がかかるため、そのルートさえ確保できれば非常に安価に作ることができる。高速道路の下にプラントを作ればいいこと尽くめになる。
(スライド21)


○ 新名所づくり
 最後の戦略は新名所づくりということだが、現在の首都圏の名所と呼ばれるところは殆どが商業施設で、その代表としてミッドタウンや六本木ヒルズがある。しかし、海外旅行する時に私達は商業施設ばかりに行こうとは思わない。いわゆる名所と呼ばれる所は、一目でその都市の歴史が分かるところである。それが東京には欠如している。そのような場所を作らないとこの都市は経済的にもうまく行かないし、なによりもここで生きていく価値がなくなってしまう。
(スライド22)


□ まとめ
◎ 「Fiber City」の概念と編集
 最後に、この「Fiber City」という言葉の概念について少し説明する。「Fiber」とは紐や繊維という意味である。今までの都市計画は非常に大きなシステム的なものでなければいけないという固定観念があった。一方実際には都市計画はニュータウンを作る為に発展してきた計画体系である。それ故既成市街地に適用するには無理がある。そこで一貫する大きなシステムではなく、むしろバラバラな線でいいのではないかと考えた。つまり、今まではオセロの黒を全部白に変えるように都市空間を全面的に変えようとする指向があったが、そうではなく線を繋ぐことでも十分ではないかいうことである。
その場合、今あるものを受け入れたうえで、それを活かす考え方を持つことが非常に大切になる。これは「編集」という考え方である。それと人が活動しやすいようにモビリティとネットワークを大事にすることが重要である。
「緑の間仕切り」で述べたように、現在の都市計画は一つの目標を立て、それに向かって粛々と進めようとするから失敗するのであって、出来た空き地を機動的に繋ぎ合わせていく組織さえ作れば安上がりであり、かつ有効である。予め全てを決めないで機動的に計画を進めていくのだが、これだけだと行き当りばったりになってしまうので最初に全体の空間再編のヴィジョンを提示しておくことが大切である。
(スライド23)


◎ 細長い形態は接触長が大きい
イメージとしては、「Fiber City」は細長く枝分かれをしているような空間で構成される。従来の都市計画は四角いものである。この緑の部分が公園で、その周りの白い部分が市街地だとして、パークサイドにマンションが何棟建つかと考えると一目瞭然「Fiber City」の方が多い。これは細長い形態の方が経済効果が高いということを表している。ところが、再開発など都市計画では計画区域はなるべく単純にするという傾向が非常に強く、うまく小奇麗ににまとめることが多い。
(スライド24)
この図はむしろ細長い方がいいという観点でのイメージスケッチであるが、このように既成市街地にバラバラな線的な要素の介入で全体を作り上げていくこと、即ち全体のイメージはしっかり持って部分部分の小さいものを集積しながらつくり上げいくのが「Fiber City」である。
(スライド25)


 最後に、近代都市計画と私達が考えているものを対比しているものがこの図に表されている。
(スライド26)


以 上




□ 質疑応答
Q1:
 質問を3つに分けてしたい。  一つは、先生のご提案の中で緑という素材がどういう存在なのかということをお聞きしたい。
 二つ目は、環境に人々がある程度の愛着を持ちながらそれを維持して行くという時にアクティビティをデザインするということが重要ではないかと感じたので先生のご意見をいただきたい。
 三つ目は、今までの建築は輪郭を重視してきて、それがいかに目立つかという形で建築家は勝負していたのだが、輪郭よりもむしろその開口部が重要ではないか、という点について先生のご意見を伺いたい。


A1:
 まず緑の話だが、今までは物理的に農地や山林を破壊して都市化を行なっていくということがなされて来た。これからは人口が減っていく。国土交通省はこれを「縮退していく都市」と表現し、縮退することによって緑が回復していくだろうと予測している。つまり緑と縮退とは密接な関係性を持っている。ファイバーシティは緑があった方がいいという前提の話だが、実際緑が増えていくとそれをどう管理していくのかというのが非常に難しい問題である。今後緑地が増えていく中で農業のあり方をもう一度見直す必要があるだろう。我々の世代だと地方から来た人が多く、農業に親しみがあり、定年後は農業をやりたいという人が多い。しかし、今の都市化された中で育って来た人が本当に農業に対して親しみを持っているかどうかはよく分からない。
(スライド27)
 日本の気候風土は亜熱帯に近い気候なので、緑地は繁茂し、森の周りはツタ科の植物が生い茂り、中は薮になってしまう。だから、常に手入れをしていないと中を歩ける雑木林にはならない。自然を楽しむ為の森を維持していく為には相応の社会システムが必要になる。あまり自然と触れ合ったことがない、森もそれほど好きではないという人ばかりの中で森を作ってしまうと大変なことになりかねない。
 特に今後都市の縁辺部でそのような問題がたくさん出てくると思う。小さな放置された森があり、そこに産廃物が捨てられ、誰も管理をしないから犯罪が生じるといったようなことが起こる可能性が高い。今までのように緑が常に貴重であるというようなことがなくなった時に増えていく緑の管理というのを多くの人が知恵を絞って考えなければならないことだと私は考えている。これは住宅地の中でも起こる問題だと思う。これが第一点の質問の答えである。
 第二点目の「アクティビティをデザインする」ということについては、建築の設計というのは形を決めていくことなので、形に対しての関心というのは当然あるが、同時にそこで建築をどう使うのかということ、また、都市をどう使うのかということを考えて設計しないと、使えない変なものが出来てしまう。
 使ってこそ、建築や環境は生きてくると思う。それは行政の人でも研究者であっても、マーケットを主体として設計をしている人もみんな同じではないだろうか。
 最後の穴を開けるという話は、「まちなみ住宅のススメ」(まちなみ住宅100選編集委員会 監修、住宅生産団体連合会 編、陣内秀信他著、鹿島出版会、2006.10)にも書いてある。 日本のような高密度なところで建物を作っていく時にはいたずらに外形に拘っても所詮無駄なことで建物の輪郭は埋没してしまう。むしろ建物の穴(開口部)の方を特徴的な形にすることにより、連担する中で埋没しない特徴のある建物ができ、それは同時にシンボル性やその穴の中から見える内部のアクティビティと外との関係性を持たせることが出来る。つまり見方を変えることが重要である。
 現代都市でまちなみがうまくいかないのは、結局みんな「俺が、俺が」と言うからである。クライアントも設計者もみんな自己主張する。民主主義社会とは自由主義社会である。しかし、みんな「俺が、俺が」と言うと、このような個々の異なった輪郭の個性がお互いを殺してしまう。それは、設計者が未だに建築はシルエットで勝負をするということを信じているからである。むしろシルエットはある程度統一感を持たせ、開口部で勝負するということにすれば、まちなみは良くなるというのが開口部を造形の中心にすえる理屈である。密集した場所では建物の輪郭ではなく開口部で頑張っていただきたい。商業建築においてはすでにそうなってきている。住宅もまちなみ建築なのだから開口で勝負したらどうでしょうかというのがここでの提案である。
(スライド28)
(スライド29)



Q2:
 今後の建物の更新のあり方として共同建て替え的に大きくつくるよりも戸建で建替えを基本的な考えでやっていくべきであるというお話だが、その中に「風抜き穴」という考えが書かれていたのでそれをもう少し詳しく聞かせていただきたい。


A2:
 まず、街を良くしていく為には共同化をしなければいけないということが公式見解である。行政的な都市計画政策ではそれがかなり中心的な方法として組み立てられている。共同化をすれば補助金が貰えるといったような政策だ。ただし共同化して良いこともあれば悪いこともある。はたして個別建て替えで環境は良くならないのかといことが鍵になると思う。その具体的なスタディとして、中野区のとある一角を対象とした修士論文を本に出した。例えば個別建て替えで日照は改善できるのかといったことや通風は良くなるのだろうかといったようなことから、「風吹穴」ということで提案した。結果的には形態規制の一つの方法として、立体的な形で形態規制を考えると高密市街地などはより効率的に建て替えが出来るといったようなことをスタディした。
 今の既存の仕組みで言うと、建築協定だとか地区計画を使えばそのようなことは出来るはずである。みなさんは団地で住宅をつくる機会が多いので、そのような時に少し踏み込んだ形でやっていただけると面白いと思う。
(スライド30)



Q3:
 グリーンフィンガーの説明で、緑がマッシブな形ではなくグリーンパーティションで繋がって行くということを言われていた。空地が飛び飛びに出来るので、それを緑化していけばいいというようなことであるが、うまく繋がらない場合は、置き換えるという話があったと思う。その置き換えていくときの仕組みをどう考えているのかお聞きしたい。


A3:
 それは一番難しい問題である。私の想定では、行政がやるとあまり機動力がないので中間的な民間企業を考えている。まちづくり会社といった組織だが、概念的には都市計画事業を代行するような形で、地元の不動産会社などを集めた新たな会社を作り、出資は地元住民が行う。その地域で常日頃情報を集めて移動したい意向のある人がいれば働きかけをするなどといった行政にはない機動力を活かして事業を行う。近年行政に対して説明責任や公平性などといったことが増々求められているが、それでは不要なコストがかかってしまう。そのお金は市民が税金で払っており、税金払ったのに街が良くならないのでは意味がない。だから、もっと機動的な組織が必要になってくる。その時に地権者が出資者になることによってまちづくりが保障されると考える。
(スライド31)
(スライド32)



Q4:
 先生のお話の中で将来日本民族はいなくなるといった非常に絶望的な話をいただいたのだが、その場合、日本列島に人が完全に居なくなるのではなく、グローバル化で海外から移住してくるといったようなことが起こると推測される。そのような可能性があるとした時に、異文化コミュニティといったような、海外から来られた方と都市計画的な所が将来的にどのようにミックスして共存を図るのかというヴィジョンがあればお聞かせ願いたい。


A4:
 その道の専門ではないのでヴィジョンなどは持っていないが、ただ、異文化ミックスがそんなになま優しいものでないのは確かである。やって来る人は稼ぐ為にやってくる。要するに本国では食えない人がやってくる。一般的には教育レベルは低く、受け入れる側は本国人が嫌がる仕事を押し付けるので、当然そこには社会的な軋轢が生まれる。今までは、仕事を持っている国に仕事を求める外国人がやって来ていたのだが、最近は仕事が海外に出て行ってしまうようになった。以前は、仕事は動き難かったが、今はコンピュータネットワークで簡単に仕事が海外に移せるようになった。ケアなどの対人サービスでの流入はあるとは思うが、それがどのくらい人口に影響を与えるかというとよく分からないし、本当に労働流動が起こるのかも分からない。ただ、日本人がいなくなるというのは出生率の問題で、現在の1.25を2.0にするということはもう一度社会システムを作り直さなければいけないので相当の覚悟がいる。しかし、今の年金問題にしてもあんまりヴィジョンを持ってやっているという感じがしない。日本人は非常に勤勉な民族だと思うが、凄く大きな問題は後回しにするという癖がある。しかし、縮小社会になる時、そのような後回し理論は通用しなくなると私は思う。
(スライド33)



Q5:
 建築は開口部とか表層などが大切であるというお話があったが、我々はある程度モノ化や形態を作っていかなければならない。既存の家並みや市街地の中で、どのように形作っていけばよいのか、その寄りどころや作法などといったものをどのように組立てていけばいいのかが課題である。今「まちなみ」と言われているが、なにを基準にして作り替えていけば良いのかというのがなかなか見えて来ず、また歴史を掘り起こしていくというのもなかなか通用しない。こうした中で、開口や表層に注意しながらも具現化していく為にはどのように組立てていくのがいいのかというのをお聞きしたい。


A5:
 それはやはりこの環境の消費サイクルが変わらない限り変わらないであろう。というのは、今の住宅のサイクルでは、30年ぐらいで消費し、一生の内で2回ぐらい新築に遭遇する。しかし住宅の方が人間の寿命よりも長い国もある。そういう国では住宅や都市といったものは与条件であるが、我々の場合は前回失敗したから今度は上手くやっていこうということができる、非常に希有な状況にいる。一方そのような需要が盛んな所でみなさんが商売をされる時もそうだと思うのですが、元々ない需要を喚起して、欲望を刺激しなければならない。それはやはり生産のサイクルで決まってしまっている話なので、そこでまちなみといっても無理な話である。
しかし、それは今後確実に変わって行くはずである。なぜならストックがたくさんあるからである。将来子供達は3つも4つも家を持つようになる。そうすると商品供給だとか、住み手の判断というものは自ずと違ってくる。その転換点がいつになるのかまでは分からないがそれは是非研究されて商売の方法だとか商品構成の考え方が変わってくる時期があるはずだということを導き出していただきたい。
 私は今回素人ながら考えたことは、将来はハードにプラスして見守りのネットワークづくりといったある種のソフトも一緒に提供して行くことになるのではないかと思う。見守りのコミュニティを子供時代に経験したことがない人達がコミュニティを必要とする時代がくるので、昔あったコミュニティを回復しようと言っても、それを経験したことがないのだから回復できる訳がない。しかも老人だらけなのだから、全て行政がサービスすると言うことは考えられない。それを今度は互助でやらなければならない。そうすると互助を育てるようなサービスやハードウェアが必要になってくると思う。だから、ハードとサービスが一体になったようなものにシフトをしていかなければこの業界はどんどん縮小してしまう。その時に行政だとか学者や建築家などの異分野での意見交換などが必要になってくるであろう。


Q6:
 先生の話で東京が縮小する都市のお手本となると言う前提でのお話であったと思うのだが、昔のホープ計画みたいな物を掲げて都市の定住化みたいなものをやったりと、人口の奪い合いをして縮小し、また奪い合い縮小するといったような波を持った縮小の形になるのではないかと思うのだがその辺のご意見をお伺いしたい。


A6:
 それはもし大都市に一極集中をしてしまうということであるが、例えば2030年にも東京に人口は変わらなかったという時、地方都市は相当減っていることになる。そうすると東京の地価は変わらないから、その分地方都市はかなり下がっている。その差が大きくなると、また逆流が起こってくると思う。東京で高い坪単価に四苦八苦しながらなんとか小さな土地を買い、そこに小さな家を建てるよりも、地方で大きな敷地に家を建てた方がいいと言ったように選択股に意味が生まれてくると考えられる。その時にアイディアを持ったまちはその人達を受け入れることができるだろうし、ないところは見捨てられるというように、そこで選別が起きる。だからそれはホープとは少し違うと思う。
 地方都市が無個性だとおっしゃられたが、地方都市が無個性なら東京も無個性である。特別東京や大阪が個性であるということはブランドショップがあるぐらいのものなので本当は大したことはない。そのような自覚が地方の首長さんだとか専門家にどれくらい起こってくるのかということが鍵になるだろう。やはり基本はなるべく地方に権限を移譲して自由な発想で色々なことをするといったことが一番ではないのかと思う。
(スライド34)



Q7:
 地方都市などで地域性を出す時に、景観的なものでそれぞれの地方を個性化していくことが人口の定住に繋がるのかということをお聞きしたい。


A7:
 そもそも景観が地域の個性であるということは迷信以外の何ものでもなくて、もう既に江戸時代になると日本の景観はどこに行っても同じになってしまっていた。なぜ江戸時代にそうなったかというと、交易が盛んになり人々が交流し始めその中で魅力的な物がどんどん波及していったからである。問題なのは風景を個性化しようとして、ありもしない個性をねつ造をしようとすることである。竹の産地だから竹をあしらいましょうなどといったようなことである。そういったことはなかなか維持することはできない。それよりは、やはりそこに住むと快適だとか美味しいものが食べられるだとかみんなが活き活きしていてまちを盛り立てようとしているとか人付き合いがいいとかといったようなことが大事なことであって景観は大きな要素ではない。むしろ高さ制限をきちんとやった方がいい。今、地方都市でそんなに容積的な圧力がないのにも関わらず高いマンションが建ってしまう状況が起こっている。高さ制限は住宅地にとっては一番基本的なことだと思う。今、日影規制になってから隣にどんな建物が建つのか分からなくなってしまった。しかし、高さ規制があれば、10m規制のところに9mまでの床面の建物であれば、その上の1m以上にはもう何も建たないということがすぐに分かる。


Q8:
 ここにいる方は住宅メーカーの集合体で、日頃は競合しながら商売をされていると思うのだが、このように「まちなみ」というひとつの切り口でみなさん集まって会を開き、一同でなんらかの目標を探している姿は今までになかったような気がする。大野先生から見て、このような住宅メーカーによる一つの連合としての可能性がなにかあればお聞かせ願いたい。


A8:
 今住宅メーカーの市場占有率は2割を切っているようだが、実際の町場の工務店などに対する影響力は、実質5〜6割はあると思う。今の戸建て住宅を見るとやはり住宅メーカーのデザインがお手本になっていて、それを町場の工務店が真似しているという構図になっている。  皆さん方がこのようにある見識でご商売されるということは只ただ金だけの為にやっているというよりも遥かに素晴らしいことだと思うし、皆さん方の責任はとても大きいので、自覚を持ってご商売を行ってもらいたい。
以 上


[プロフィール]
大野 秀敏(おおの ひでとし)
1949年岐阜生まれ。東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。(株)槇総合計画事務所などを経て現在、東京大学大学院新領域創成科学研究科社会文化環境学専攻・工学部建築学科教授。博士(工学)。 主な建築作品に<NBK関工園事務棟・ホール棟>、<旧門司税関リノベーション>、<フロイデ彦島>、<うかい大橋>、<東京大学柏キャンパス環境棟>など。