また、区域を決める場合など、「どうしてここまでやらないの?」とか「ここまで取り込んだ方がいいのでは」などという話も「まちづくり協議」で行っています。
これは崖側の空地(壁面後退による)が完成した写真です。
擁壁は石積みなど古いものがほとんどで、コンクリートで出来ていても、その下に杭がなく、問題があることが判明しました。この擁壁から壁面の位置が決められ、建物を6メートル以上離すルールによってできるスペースがある訳です。このスペースには防災用の井戸などを設けています。それから、手前に見えるフェンスは全部の空地が繋がったら取り除くという約束で作ってあります。協定したことをまちづくり協議書に書きこみます。
区の事前協議の段階で、地区計画の届け出をする際に、若葉地区まちづくり推進協議会の「まちづくり協議」の内容を添付しなければ届け出ができないようになっています。このことによって、住民との話し合いの場が保証されることや、まちなみの性能を地域の人達の努力によって獲得していくということができるようになりました。
環境整備と地域コミュニティ
コンサルタントや私達のような仕事をする人間は、まちを形成していくという感覚を身につけなければなりません。仕事が来てはじめて考えようとしても答えを出すことは難しいのです。こうした地域にはどのような計画が馴染むのか、そこにコミュニティを維持しつつどうやって整備を行うかということを日ごろから温めておくことが非常に重要です。「えいや」と再開発をしてしまえば楽なのかもしれませんがそうするとほとんどの住民が住み続けられないという状況になってしまいます。
高齢化の進んでいるこの地域では、自分たちでグループをつくり隣同士の助け合い組織を路地ごとに形成しています。建替え後には、この路地が各階の廊下になっていくのです。やはり長年続いて来たコミュニティは大事だと感じました。近所ではマンション用地が億単位で買収されて、みなさんホクホクしながら立ち退いて行ったそうですが、その後は孤独になり、あっというまにお金を使い果たしてしまったということを耳にしました。
「景気が低迷している今だから共同化のやり時だ」と、「自分たちは待っていて良かった」と皆さんが言っています。生活を持続するというのは景気とはまた別の話で、経済的な捉え方もまた色々違うのだと感じました。
まちづくりが住民意識を変える
私は建築設計とまちづくりのルール作りの両方を手がけたことによって見えてきたことがあります。
整備計画の認定を取るまでに非常に大変な思いをして資料つくり、関係する行政や団体を説得して歩いたり、そのための資料を作ったり、余分な作業が加わります。また、整備計画を取りまとめる行政の中でも、組織が縦割りなのでなかなか進まないといった、様々な問題に直面しました。しかし、今までご覧いただいたとおり整備の成果が形に表れてきたと感じています。今回私達が共同建替事業にとりくんでいる場所は対象地区の中でも一番難しいとされているところなのです。道路状況も悪いし、敷地面積も小さいし、生活保護世帯も4件あり、身体の不自由な方が3人おられます。この事業が完成すれば周囲の雰囲気も大きく変わってくるのではと思っています。この難関をクリアしたところで、事業に参加する人たちの意識も変わってきて、入居前に管理規定などを住民の方と一緒につくっていますが、やはりみんなで一緒に住むという意識がとても盛り上がっています。また、まちなみとしてはみっともないことはしたくないという意識も段々できてきて、今までバラバラに住んでいた人の発言とは思えないように変化してきました。このように、住民の意識が変わるということも、まちなみ形成の上で重要なことであると感じています。
「質疑応答」
Q:エリアマネジメントの実際について。
A:「蚕糸のまつり」というイベントがありますが、役員の方々はお祭りという意識ではなくて防災訓練だと思ってやっています。地域にある40以上の団体にどうやって連絡するか、テントをどこでどのように組み立てたら何分かかって、どのように片付けたらいいか、というようなシミュレーションを非常時の練習だと思っています。行政の人達はあまり意識していないようですが、取り組み方には大きな違いがあります。他方では区から管轄を委託されているポケットパークで収穫した農作物を、みんなで分けたり、鍋大会をしたり、10月にはお月見をしたり、そこでできたものもみんなで分けてパーティーをするという地域の活動があります。
Q:エリアマネジメントの中心はどのような組織ですか
A:町内会の自治会ではなく、地区計画にとりくんで以来、街づくりに参加した人達が中心になって、そこから人数が増えてきました。町内会は行政からの回覧板を回すというようなことはしていますが、街づくりには関わっていません。小学校の防犯の話で、人の目で垣根をつくるというのも、実ははじめ、父兄は参加していないのです。父兄は新住民の方が多いので、街づくりという意識がない。街づくりをしてきたグループがやっていくうちに、だんだん参加していくようになりました。若いお父さんやお母さん方にはそういうことを今までの生活の中で経験していないので、少しずつ、街づくりに関わった人達が手を差し伸べているのです。
Q:まちづくりに若い人が参加しないとよく言われますが。
A:蚕糸のことで言えば、かなり参加しています。お祭りでは子供を誘い込むようなプログラムを取り入れたり、学校教育と連動したり、メンバーがもとは、小学校PTAの代々の会長が主体になっているということもあり、若い世代と結びつけることも意識的にやっているようです。
Q:「江戸時代まであった地域の中での住み替えが、現在ではできなくなり郊外へ出る人が多い。」と問題視されていますが。
A:非常に重要なことだと思います。例えば、接道が無くて建替えができないような場所では、不動産を売ろうとしても、売れない。四谷のような立地でも1000万円でも売れないというようなケースもありますが、共同化することによって売却できるという意識を持てたことや、事業主体の(財)首都圏不燃公社の持分でつくった集合住宅を権利者の増床という形で子供家族が買って、帰って来たり、あるいは、賃貸との組み合わせで、少しずつもとの住民が戻ってきているという実態があります。
アメリカではもともと、住宅を賃貸的につくります。つまり間取りがスタンダードなので誰にでも受け入れられ、結果として高く売れる。それには経済的なバックアップもあり、ひいては地区全体の価値を上げるのです。よって住宅は再販価値を考えて設計されています。
Q:日本には南面神話があるが、若葉地区の住民の方は気にしていないように感じる。実際はどうなのですか。
A:南面した平行配置というのは北側に日影を作ってしまうので、近隣に対する影響が大きくなり、高密度に暮らしていく上では不向きです。住民の人達には、日影規制なんていらないと言われ、自分たちは家の前に空間があればよくて、通風の方が大事だと言っていました。皆さんそのように思っています。建物を南北軸にして、東西から採光する設計に抵抗はなかった。ところが、ディベロッパーが計画すると必ず南面採光をとろうとします。私たちが描いたプランは南に向いていないので、これでは請け負えないと。南側に窓のない住戸は商売にならないと断られました。やはり、この地区の現状を知らない人が計画に入るとそうなります。しかし地元の方はそうは思っていない。住民は家の前が空くということで喜んでいます。南面配置にしたら、全く密度が上がらないし、日影がもっとできて、風通しも悪くなってしまう。そのため東西採光は自然に受け入れられました。]
ディベロッパーのほうが既成概念に囚われていたと言えます。
Q:建築基準法と都市計画法の間に集合の建築空間を計画する法律がないことはとても大きな問題だと思う。どのようにお考えですか。
A:個々の敷地の設計を制限する法律が建築基準法ですが、街区単位の街並みという視点では、うまく機能しているとは言えないでしょう。ある時、台東区と墨田区と世田谷区の街区を取り上げて、道路率と床面積の関係を調査したことがありますが、道路率が30%〜50%の台東区とか墨田区が仮に容積率が500%になっても、結局床面積として利用している割合は、世田谷区や杉並区と同じで150%くらいしか使っていないという結果でした。それはなぜかというと、日照条件がよく、道路側に面している敷地は高度利用がされますが、その裏は駐車場になったりして土地利用が進まないからです。だから、再開発計画は、広い地域一帯ですれば別ですが、個々の敷地で土地利用を考えても、街区全体としては高度利用にならない状況になっていて、その為に土地利用の効率が悪い。道路や駐車場にばかり空間が取られてしまうので、人通りがなくなるとか、人の目がなくなるとか、商店街が繁栄しないとか、そういう状況になります。もう少し街区単位の計画や街並み単位での計画をつくる方向に変えないと、街は繁栄しないのではないかと思います。
Q:景観条例自体が単体規定、集合規定の欠陥を補うものとして機能しうると思いますか
A:玉川上水の沿道の放射5号線を拡幅する計画があり、沿道をどう玉川上水の景観に沿った街づくりをするか、というプロジェクトを進めていますが、なかなか難しい。景観法は、これまで、地区計画で縛れなかった工作物や緑といったものも対象にはなりましたが、本当にどういう景観を作っていくのかを具体的に示すことが難しいという点と、地方と東京では景観条例の扱い方が全然違うような気がしています。東京都の考え方は、景観を都全体で考えようとしています。玉川上水も景観基本軸に入っているので、細かく決められています。その結果、地区独自の発想が入りにくくなっています。玉川上水も上流部と下流部では景観が違うと思います。一律の運用ではなかなか難しいため、去年も東京都と激しいやり取りをしました。まだ2年間ぐらい交渉しなければならないと思っています。
景観条例がどのように活用できるかということは充分検証されていないため、いろんな見方ができると思います。ただ、防災のまちづくり計画と似ているところがあって、景観で街づくりをしますと言うと、あまり反対がない。「景観がよくなるならいいよ」ということで地域には馴染みやすいのです。どう景観をつくっていくか、住民のコンセンサスをどうやって作っていくかということは、まだ事例も少ないので課題も多いと思います。このプロジェクトでは植物の扱いが大切になっています。建築基準法等の法規制を拠りどころにするというよりは、玉川上水の緑を活用しようという感覚が強いと思います。
事実、どこの行政の条例を見ても、水と緑のことしか書いてなくて他に地域性を表現できないのかと感じています。
一番難しいのは、ごく一般的な街でどう景観を作っていくかということでしょう。昔のように地域によって建築の構法に特徴があるというわけではない。それこそみなさんのプレハブメーカーの建物が全国どこに行っても建っているし、違うメーカーさん同士が隣り合って並んでいて、地域性を醸しだすような景観は期待できません。
私達も一般的なまちに、どのように特色を盛り込むのか、その手がかりを掘り起こそうとしています。
Q:「軸の設定から、都市や環境の空間特性を読み込むことに設計のアプローチが方向転換していく」というお考えをもう少し詳しく。
A:私もショックだったのは、作品のイメージからデ・コンストラクションの建築家と受け止められていたことです。バブル崩壊後の社会風潮からみると自分の仕事は社会悪なのかというジレンマにもなりました、特にザハ・ハディットの設計を意識していたのではなく、後からザハがそういう設計をしていると知ったのですが、軸をずらすという設計手法に可能性があることは気付いていました。そういう設計をすると、一般の人たちにはいい印象で受け止められないようなので、積極的には使わなくなったということはあります。ただ、密集市街地でごちゃごちゃの敷地図を受け取っても、抵抗感など感じることはありません。複雑な地形を読み込むということが普通にできるようになり、軸を設定しても、それを馴染ませる方法を身につけてきたのです。京島でもやったのですが、道路の展開と隣の建物の角度が違っていたりして、隣の建物に合わせると、道路空間が街並みとして変なかんじになる。そこに何事もないように軸線の手法を入れたりして、そっと使うと誰も何も言わないと。そういうこなし方は身に付きました。周辺の建物や、流れに合わせて。
「街並み住宅のススメ」の制作時に、私が空気感とか空がどのくらい見えるかとか風が流れるとか、不可思議な話をしていたので、他の方からはとりとめのないことを言っているように思われたかもしれませんが、そういう空気感と言うのは、まちなみ形成に重要だなと思っています。そしてその空気感というのはその街では何なのかを掴んでいく。そのように設計のアプローチが変わってきました。
Q:住宅メーカーに一言
A:下北半島の果てまで行って学校づくりをしたりするので、いろいろな場所に行きますが、そんな場所でもハウスメーカーさんの家があるのはちょっとショック。
日本海側だと、黒い屋根瓦に板壁の町並みができているのに、そういうところにシングル葺きの屋根の家が建っていたり、勾配が違っている屋根が並んでいるのを見るとオヤオヤと思います。それから、先程もお話した「空気感」といった家の中の生活の雰囲気が、屋外に出てくるというのがとても大切だと思いますが、ハウスメーカーの住宅は家の中の性能をすごく重視していらして、外に出て行く性能というのをほとんど意識していない。外側から見ると本当に堅い建物が多い気がします。蚕糸試験場周辺の街づくりで経験したことですが、壁面線の位置を指定したら、みんな揃ってのっぺらぼうの建物を建て始めました。それまで出窓をつくったりしていたのに。そういう街の膨らみとか、生活感が屋外に出てくるような楽しさなどの工夫が消えて、ギリギリまで建てると言う意識がルールを決めた途端に出始める。たぶんお客様の要望が強く出ることには敏感で、まちなみのような家の外に出て行く価値観がハウスメーカーには、希薄なのではと感じます。それが街並みを悪くしている要因ではないかと考えます。先程のメーカーさんのスタイルの件とは別の問題として、そのようなことを感じます。
<村上美奈子氏 プロフィール>
褐v画工房主宰 一級建築士、再開発プランナー
1965年東京芸術大学建築学科卒業、1967年同大学院修了
「墨田下町住宅開発」を行い、モデル住宅として、「帯屋」「向島三枚仕立」などを設計。
「杉並区蚕糸試験場跡地周辺不燃化まちづくり」及び、「子どもの教育環境調査」、「新宿区四谷若葉須賀町密集住宅市街地整備(再開発地区計画・地区計画)」に、コンサルタント及びまちづくり相談員として関わる。