木にこだわった家を建てたいと考え、モデルハウスめぐりやたくさんの建築家を訪ね歩いた末に、小室雅伸氏と出会ったことが、私の家づくりにおいて最も幸運な出来事であった。構想→設計→建築に約2年を費やし、その間私のわがままにすべて耳を傾け、専門家としての意見を加えて私の夢を形にしていただいたことに、心から感謝している。
「環境に配慮した住まい」という観点と、住んでみての実感から、特筆すべき点を4つあげる。

1 木造住宅の耐久性と地球環境について

小室氏の意見の中で特に印象的だったのが、建築物の耐久性に関する徹底的なこだわりである。それは構造部材を雨雪にさらさない工法の考案からはじまって、材料一つ一つの選択や、メンテナンスへの配慮など多岐にわたっており、時には私の希望に対して再考を促す場面もあった。

木造住宅の耐久性は、二酸化炭素を長期間固定することによって、地球温暖化の防止に貢献する。すなわち、二酸化炭素を吸収するために森林の育成が必要であるが、そのために木を伐採してはいけないのではなく、伐採した木材を有効に利用し、伐採後に新たに植林をして次世代の森林を育成することが肝要である。この森林が二酸化炭素を吸収して成長する間、利用した木材は二酸化炭素を大気中に放出することなく、長期間にわたって二酸化炭素を固定しつづけることが、地球温暖化の防止に必要不可欠である。

私が木材の利用にこだわる理由のひとつがこの点である。私の夢であったログハウスについて、耐久性上の弱点を指摘し、これをカバーするポスト&ビームの外側断熱工法を提案した小室氏の設計は、まさに地球環境に配慮した建築であると考える。

木造住宅の耐久性を維持するためには、メンテナンスが必要である。この点では私の希望もあって、外壁(カラマツ材の大和張り)の塗装などは日曜大工で自らできるよう配慮し、素人の手に負えない高所は高耐久の金属板とするなどの工夫がされている。少ない費用と手間でメンテナンスを行い、かつ自分の家に対する愛着もいっそう増すという点で、十分満足のいくものである。

2 木の良さが醸し出すやすらぎのある居住環境

外装、内装ともに無垢の木材を多用しており、直接触れる足の裏や手からはもちろん、視覚や嗅覚からも木の温もりを感じる居住環境を創出している。吹き抜けから北海道産アカエゾマツログの柱と梁を見上げているだけで心が和み、薪ストーブに火を入れてくつろげば、仕事の疲れも癒されて至福の時を過ごす。ログの柱にカブトムシやセミの標本をとまらせる遊び心も生まれる。

浴室、トイレなど、木材を使用するのに注意が必要な箇所においても、適切な換気、防湿により、木の羽目板による内装を実現している。また、木と組み合わされて使用されているレンガ、タイル、和紙なども木の質感と調和して、その良さを引き立てている。まさに木の良さを最大限に感じることのできる家であり、私の夢を見事に実現した設計であると思う。

もちろんシックハウスなどとは無縁であり、(財)住宅リフォーム・紛争処理支援センターの実施する「室内空気環境に関する実態調査」にモニターとして応募したところ、測定結果はホルムアルデヒド濃度が0.02ppm、トルエン、キシレン、エチルベンゼン、スチレン濃度は0.01ppm未満であるなど、きわめて健康的な居住環境であることが証明された。

3 省エネルギーで快適な環境

専門家の緻密な計算が生きているのがこの分野である。
木の床から伝わる蓄熱式床暖房の温もりは、必要以上に室温を上げることなく、家全体で十分な暖かさを感じるように熱量計算がされており、深夜電力の活用により低コストである。各室の照明も必要にして十分であり、電球色の暖かい色合いが木質の内装とマッチしている。

Lo-Eガラス入り木製サッシの窓からの採光は、冬期は十分に部屋を暖め、夏期は軒により直射日光を遮って室内の涼しさを保っている。薪ストーブのために設けた床下の外気導入口は、夏期には地下の冷気の導入口となってコストのかからない冷房装置の役割を果たしている。

全体として、オール電化の採用と自然のエネルギーをうまく取り入れることにより、四季を通じて快適な室内環境を保ちながら、水光熱費は低コストで、省エネルギーの住宅となっている。

4 周辺環境、景観への調和

立地環境はようやく家が立ち始めたばかりのまばらな住宅地の一角であり、道路を隔てて農地が広がり、遠くの山が遠望できる田園都市的な環境である。カラマツ大和張りの外壁、二階部分のこげ茶色の金属板、煙突のある白い三角屋根、木製サッシ、ログのカーポートなど、周辺にはあまり類似の例がないタイプの家であるが、周囲の景観に違和感なく溶け込み、それでいて木の良さを主張している。

庭の造成はまだまだ途上であるが、昨年、今年とチューリップやひまわりの花畑をつくったところ、建物によく似合っており、好評であった。

通りすがりに足を止めて我が家に見入っていく人も多く、町内になくてはならぬランドマークとなりつつある。